大庭みな子 略年譜
1930年(昭和5年)0歳

11月11日、椎名三郎、睦子の長女として東京、渋谷に生れる。本名・美奈子。終戦まで、海軍軍医であった父の転任のため、海軍の要地を移り住む。

1937年(昭和12年)7歳

呉市二河小学校に入学。7月、日中戦争が始まる。童話を読みあさり、11歳の時、作家になりたいと思う。

1943年(昭和18年)13歳

4月、豊橋高女に入学。小説を読みふける。

1945年(昭和20年)15歳

広島県西条市で敗戦を迎える。8月末から原爆後の広島市に救援隊として入り、その惨状に強い衝撃を受ける。

1947年(昭和22年)17歳

山口県立岩国高女を卒業。この頃日本の古典、主に王朝文学に熱中する一方で、小説を書き始める。

1948年(昭和23年)18歳

一家で母の実家・新潟に移り、父は開業医に。4月、新潟高女専攻科に入学。ドストエフスキーに熱中する。

1949年(昭和24年)19歳

津田塾大学入学。7月、静岡で大庭利雄に会う。この頃、演劇熱も高じるが、文学に専念する思いを固める。エリオットの影響を受け、詩を書くようになる。

1955年(昭和30年)25歳

12月、小説を書き続けることを条件に大庭利雄と結婚。東京、麻布本村町に住む。

1956年(昭和31年)26歳

9月、娘、優を産む。

1959年(昭和34年)29歳

10月、アメリカ、アラスカ州シトカ市に利雄の勤務のため移住。以後11年滞米の間に米国内各地を旅する。

1962年(昭和37年)32歳

ウイスコンシン州立大学の美術科、大学院生としてマジソンに住む。翌年夏「構図のない絵」を書く。

1967年(昭和42年)37歳

夏、シアトル市ワシントン州立大学美術科に在籍しつつ文学部の講義にも出、「虹の浮橋」を書く。その後アラスカに帰って「三匹の蟹」を書き、〈群像〉新人賞に応募。

1968年(昭和43年)38歳

「三匹の蟹」が〈群像〉新人賞、第59回芥川賞を受賞。10月『三匹の蟹』(講談社)刊行。

1969年(昭和44年)39歳

5月、母死去。11月から12月にかけてパリに滞在。

1970年(昭和45年)40歳

1月『ふなくい虫』(講談社)刊行。3月、アラスカを引き揚げ、東京、目黒に住む。7月『幽霊達の復活祭』(講談社)刊行。再び渡米。

1971年(昭和46年)41歳

夫と共にインド、アフリカ、欧州、南米、カナダを旅する。4月『魚の泪』(中央公論社)、7月、詩集『錆びた言葉』(講談社)、9月『栂の夢』(文藝春秋)刊行。

1972年(昭和47年)42歳

9月、東南アジアに旅。11月『胡弓を弾く鳥』(講談社)刊行。

1973年(昭和48年)43歳

5月、戯曲『死海のりんご』(新潮社)、8月『野草の夢』(講談社)刊行。12月「死海のりんご」を劇団「雲」が上演。10月よりオレゴン州に滞在。

1974年(昭和49年)44歳

11月、利雄とカナダ、アメリカを廻り、故地や旧友を訪ねて過去10年の移り変わりを感じる。

1975年(昭和50年)45歳

2月『がらくた博物館』(文藝春秋)、5月『青い狐』(講談社)刊行。9月『がらくた博物館』で女流文学賞を受賞。

1976年(昭和51年)46歳

1月、アラスカのシトカを訪問。12月、父死去。

1977年(昭和52年)47歳

3月『浦島草』(講談社)刊行。5月、スコットランドを旅する。

1978年(昭和53年)48歳

1月、沖縄、八重山諸島に旅する。『醒めて見る夢』(講談社)刊行。3月、水上勉、三浦哲郎らと共に欧州諸国をめぐる。7月、『蒼い小さな話』(角川書店)刊行。9月、藤枝静男らと韓国を旅する。

1979年(昭和54年)49歳

5月『花と虫の記憶』(中央公論社)、6月『淡交』(河出書房新社)刊行。高橋たか子と北欧、パリを旅する。8月『女の男性論』(中央公論社)、11月、高橋たか子との対談集『性としての女』(講談社)刊行。9月末より3ヶ月、オレゴン大学に交換教授として滞在。

1980年(昭和55年)50歳

9月よりアイオワ大学に滞在し、アメリカ国内各地を旅する。11月『霧の旅 第吃堯β茘局堯戞聞崔娘辧亡行。12月『オレゴン夢十夜』(新潮社)刊行。

1982年(昭和57年)52歳

5月『島の国の島』(潮出版社)、6月『寂兮寥兮』(河出書房新社)、7月『私のえらぶ私の場所』(海竜社)刊行。10月『寂兮寥兮』で谷崎潤一郎賞を受賞。

1983年(昭和58年)53歳

1月『夢を釣る』(講談社)刊行。5月、スウェーデン政府の招待で同国を訪問。8月『帽子の聴いた物語』(講談社)刊行。

1984年(昭和59年)54歳

3月『夢野』(講談社)刊行。加賀乙彦らと共に中国を旅する。6月、対談集『駈ける男の横顔』(中央公論社)刊行。藤枝静男らと共にバリ、ジャワを旅する。10月『楊梅洞物語』(中央公論社)、12月『舞へ舞へ蝸牛』(福武書店)刊行。

1985年(昭和60年)55歳

2月『女・男・いのち』(読売新聞社)、3月『ドラマ』(作品社)、10月『啼く鳥の』(講談社)を刊行。

1986年(昭和61年)56歳

6月『三面川』(文藝春秋)、『鏡の中の顔』(新潮社)刊行。10月、11月と2度中国を訪問。12月『啼く鳥の』で野間文芸賞を受賞。

1987年(昭和62年)57歳

河野多恵子とともに初の女性芥川賞選考委員となる。

1988年(昭和63年)58歳

3月『王女の涙』(新潮社)、5月『続・女の男性論』(中公文庫)、8月『生きもののはなし』(読売新聞社)刊行。

1989年(昭和64年・平成元年)59歳

5月『虹の橋づめ』(朝日新聞社)、対談集『性の幻想』(河出書房新社)刊行。6月「海にゆらぐ糸」で川端康成文学賞受賞。9月『魔法の玉』(TBSブリタニカ)、10月『海にゆらぐ糸』(講談社)刊行。女流文学賞、文芸賞選考委員。

1990年(平成2年)60歳

1月『新輯お伽草紙』(河出書房新社)刊行。5月から7月にかけて利雄と欧州諸国を旅行。6月『津田梅子』(朝日新聞社)刊行。11月『大庭みな子全集』(全10巻)を講談社より刊行開始。

1991年(平成3年)61歳

2月『津田梅子』で読売文学賞受賞。『大庭みな子全集』完結。野間文芸賞選考委員。12月、芸術院会員に。

1992年(平成4年)62歳

6月『想うこと』(読売新聞社)、9月、娘との往復書簡『郁る樹の詩』(中央公論社)、11月、対談集『やわらかいフェミニズムへ』(青土社)を刊行。

1993年(平成5年)63歳

3月から4月にかけて渡米。ラトガーズ大学等で講義をする。6月『二百年』(講談社)刊行。目黒区自由が丘に転居。7月『雪』(福武書店)刊行。9月、ドイツ・ケルンでの朗読会に参加。

1994年(平成6年)64歳

3月『むかし女がいた』(新潮社)刊行。7月、ケンブリッジでの英国作家会議に出席。

1995年(平成7年)65歳

1月、水田宗子との対談集『〈山姥〉のいる風景』(田端書店)、3月『もってのほか』(中央公論社)、4月『わらべ唄夢譚』(河出書房新社)刊行。5月、シアトル旅行。9月、日中文化交流代表団員として訪中。

1996年(平成8年)66歳

4月「赤い満月」(「文學界」)で川端康成文学賞を再度受賞。7月、小脳出血で倒れる。東邦大学大橋病院入院。同月『おむぶう号漂流記』(岩波書店)、8月、水田宗子との往復詩集『燃える琥珀』(中央公論社)刊行。9月、脳梗塞併発左半身麻痺。11月、順天堂大学浦安病院に転院。年末に退院。娘一家のいる浦安市に転居する。

1997年(平成9年)67歳

7月、各種文学賞選考委員及びペンクラブ役職を辞す。

1998年(平成10年)68歳

2月『初めもなく終わりもなく』(集英社)刊行。3月、病後初めて遠出して箱根、5月山梨、6月比叡平へ。

1999年(平成11年)69歳

3月に宮城、5月に新潟に遠出。6月、アラスカ州シトカ市の旧居を再訪する。7月、愛知県の女性フォーラムで利雄と講演。9月、千葉県鴨川に小旅行。『楽しみの日々』(講談社)刊行。

2000年(平成12年)70歳

1月「蓼科」を〈群像〉、「唐人さん」を〈新潮〉、6月「ある正月」を〈新潮〉に発表。10月、水上、新潟旅行。

2001年(平成13年)71歳

2月『雲を追い』(小学館)刊行。5月、自ら企画した「女性による日本の文学史」が〈本の窓〉でスタート。同月『ヤダーシュカ ミーチャ』(講談社)刊行。広島へ同窓会出席のため旅行、江田島も訪ねる。

2002年(平成14年)72歳

1月、友人とハワイ島に旅行。4月、勲三等瑞宝章を受勲。夫・利雄による介護記『終わりの蜜月』(新潮社)が刊行。12月『浦安うた日記』(作品社)刊行。

2003年(平成15年)73歳

4月、伊豆高原に花見。11月『浦安うた日記』で紫式部文学賞を受賞、受賞式のため宇治市まで旅する。

2004年(平成16年)74歳

6月、監修した『テーマで読み解く日本の文学(旧題「女性による日本の文学史」)』(小学館)刊行。

2007年(平成19年)76歳

5月24日、利雄、優らに見守られながら逝く。腎不全。76歳。8月『風紋』(新潮社)、9月『七里湖』(講談社)刊行。

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