五木寛之がすべての日本人に、新しい生き方を提案!

ベストセラー『百歳人生を生きるヒント』

いま、日本という国は未曾有の長寿時代を迎えています。
経済の不安、衰えていく体の問題、介護は誰がしてくれるのか――。

そこにあるのは、これまでの哲学や思想で語ることのできない、100歳までの長い道のりをいかに歩むかという、重い課題なのです。

ミリオンセラー『生きるヒント』から四半世紀を経て、著者が世の中に問う、まったく新しい生き方の提案は、世代を超えて多くの日本人に示唆を与えてくれます。

著者は、五十代から百歳への道のり、つまり古代インドで考えられた「林住期」から「遊行期」への長い下りの道を、日本人の年代感覚に添って、十年ごとに区切り、その各十年を、どのように歩くかを考え、第二章から第六章で紹介しています。

50代以降の人生は、10年ごとに考える

50代「事はじめ」――長い下り坂を歩く覚悟を
60代「再起動」――孤独の中で見えてくるもの
70代「黄金期」――学びの楽しさに目覚める
80代「自分ファースト」――嫌われる勇気
90代「妄想のとき」――郷愁世界に遊ぶ

はじめに 百歳人生の衝撃

 最近、マスコミが盛んに報じているのは、百歳人生説というものです。

 年々寿命を延ばしている人類という生き物は、どうも、百歳という長い人生を、この地球上で生きていく可能性が高くなっているというのです。テレビでも新聞雑誌でも、特集が組まれて、この百歳人生の課題が指摘されるようになりはじめています。内閣府までも「人生100年時代構想」というプロジェクトを立ち上げました。

 私は二十五年前、バブル経済崩壊後の危機の中で、『生きるヒント』(文化出版局)という本を出しました。これからどう生きていけばいいのか。どんな生き方を選択していけばいいのか、そのときの不安を、読者と一緒に考えたかったからです。いま、その時代の不安より、はるかに大きな不安が迫っているように思います。百年もの人生を、どう生きていけばいいのだろうか……。

 二〇一七年の初めに、世界的ベストセラーとなった二冊の本があります。一冊が『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社)で、もう一冊が『ライフシフト──100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、 アンドリュー・スコット著、東洋経済新報社)という本です。

 私も二冊を同時に斜め読みしました。興味にまかせて通読しただけなので、くわしく理解しているわけではありませんが、その読後感は、いやはや大変な時代に生きているものだ、という驚きと不安でした。

 まず『サピエンス全史』ですが、七万年前、アフリカの片隅でとるに足りない動物だった人類が、西暦二〇一七年の現在、いまや神になる寸前にまで進化して、永遠の若さだけでなく、神の役割をも手に入れようとしていると、歴史学者の著者は述べています。

 進化の過程で大脳を異様に発達させ、科学文明を発展させていった人類は、ついには、神の力の一部分を手に入れ、肉体の有効期限を、年々更新させていくことに成功していると。

 この歴史学者の説を、現在進行形の社会に照合するとどうなるのかという本が、経営経済学者リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの著書『ライフシフト』ではないかという感想をもちました。

 『ライフシフト』の日本版の序文は衝撃的です。

 日本は、世界でも指折りの幸せな国だ……ではじまる文章で、えっ、そうかなあ、そういう幸せ感は実際にはないのだが、などとぶつぶつ言いながらも読み進めると、驚きの事実を突きつけられます。

 国連の推計によると、二〇〇七年に日本で生まれた子供の半分は、一〇七歳以上生きることが予想されるというのです。この一〇七という数字が妙に説得力があります。百歳きっかりではなく、一〇七歳というところがリアルです。

国連の推計という出所を明かされると、疑いようもなく、いつのまにかとんでもない長寿社会に来てしまった、という思いに駆られてしまいます。

けれども、百歳人生という言葉を聞いて、
「長生きできるとは、これほど嬉しいことはない」
と欣喜雀躍する人はごく少数で、じつは、
「そうは言われてもピンとこない」
「やれやれご苦労なことで」
と感じる人が案外多いのではないでしょうか。また、健康面や経済面での不安が重くのしかかり、百歳人生、何がめでたい! と思う人もいるでしょう。実際、日本のような少子高齢化社会では、年金の問題や、増加する一方の医療費のことなどが大きな問題になっています。

 でも、望むと望まざるとにかかわらず、私たちが百歳人生の幕開けの時代に足を踏み入れていることは、事実のようです。私は現在八十五歳で、百歳まで生きる可能性はかなり少ないとはいえ、まかり間違えば、ないとも言えない。

 百歳人生と簡単に言いますが、もしそうなれば、これは人類史が、ほんとうに大転換の時代を迎えることになります。これまでの人類史の価値観やシステムは、おおむね「人生五十年」を前提に築かれてきたものです。政治も経済も、哲学も文学も芸術も、みなそうです。それがひっくり返ってしまうわけですから。

 著者はこう書いています。

 「私たちはいま途方もない変化のただなかにいるが、それに対して準備ができている人はほとんどいない。その変化は、正しく理解した人には大きな恩恵をもたらす半面、目を背けて準備を怠った人には不幸の糧になる」

 ──ただ、そう言われても、何をどうすればいいかわからないじゃないか。それに準備すればご褒美があり、怠けたものには罰が当たる、こういった懲罰主義の考えには、私は賛同できないな……。

 天邪鬼ジイさんとしては、こんな反発もおぼえてしまうのですが、「人生五十年」という死生観の時代に生まれ、その時代を生きてきた人間として、私はわたしなりに、百歳人生を歩く方法を考えてみたくなりました。

 いま私たちはどこへ行こうとしているのか。これから、どう生きていけばいいのか。その歩き方も、まだわかりませんが、まずはこう自問しました。

 百歳人生とは、人生の下り坂が、思っていた以上に長くなるだけのことではないか。麓の村が見えてきたと思ったら、その先の道のりが、思いのほかだらだらつづいていた、それは幸運や否や?

 たとえば、マーケティングの世界では一昔前は、ジュニア世代、シルバー世代と大きく区切って考えられていましたが、いまはジュニアとシルバーのあいだに、シニア世代というマーケットを作ったそうです。

 つまりはジュニア世代の終わりからはじまる、人生の下山の道のりが、ずいぶんと長くなっただけのことかもしれない──こう素朴に自問してみると、百歳人生、恐れるに足らず、という気持ちにもなります。

しかし一方で、人類史の大転換の時代であれば、そんな楽観的なことを言っていられないかもしれない。ひょっとすると百歳人生を生きるということは、並大抵のことではないかもしれない、百歳人生、天国か地獄か?

 そんな不安が頭をよぎります。

 そこで私は、これまで八十五年という、長い人生を生きてきた過程で、深く体に染みついた記憶や、ときにはトラウマになった体験などを、そのときどきを生きた年代ごとに、メモのようにしてまとめ、それをもとに一冊の本を作ってみることにしました。それがこの『百歳人生を生きるヒント』です。

 はたしてそこに、これからはじまろうとする、百歳人生を生きる「ヒント」が見つかるかどうかわかりませんが、八十五歳の小説家のつぶやきとして、ご一緒に考えていただけたらと思います。

二〇一七年十一月三十日
五木寛之

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関連著者・監修者

五木 寛之(いつき ひろゆき)

作家
1932年福岡県生まれ。朝鮮で幼少期を過ごした後、47年引き揚げ、52年早稲田大学露文学科入学。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年「青春の門 筑豊篇」ほかで吉川英治文学賞受賞。「朱鷺の墓」「風の王国」「日本人のこころ」「読むクスリ」「林住期」小説「親鸞」などベストセラー多数。

※本データは、小社での最新刊発行当時に掲載されていたものです。

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